失格
「お先に失礼します」
階段を降り正門を抜けると、ドッと疲れが押し寄せてきた。
「はぁ....」大した仕事もしていないのに出てくるため息。仕事自体は慣れたし出来る事も多くなってきたけど、人間と話したくなさすぎる。向かいのデスクに人がいる事も嫌だし右隣に主任の松岡さんがいるのも嫌だ。何なら地下牢とかに籠って一人でずっと仕事してたい、まあ一人じゃ何もできないからそれも無理なんだけど....。
今日は12月28日、仕事納めなので明日から連休が始まる。何して過ごそうかな~なんて考えながら「今週の日曜こそはちゃんと洗って干すか....」って思ったまま何回の日曜日が過ぎたか分からない布団に横になる。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込み、買った時の柔らかさなどとうに失ったペラッペラの掛け布団で眠る。そういえば毎年1月3日は母方の実家に集まって、祖父が捌いた魚料理を食べていた。あれは美味しかった...などと急に思い出した。一人暮らしも楽しかったのは最初の3カ月くらいで、既にホームシックだった俺は家族に会いに行こう、そう思った。
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駅から出る、仙台行きの夜行バスに乗ってうつらうつらしていると、「目的地、仙台に到着致します」と車内アナウンスが聞こえてきた。久しぶりに来た仙台駅は、高校生の時にあった工事の為に駅舎を覆っていた防音シートが外されていて、東口に抜けるゴチャゴチャした狭い道が全て取り壊されており、色々なお店が並んだスッキリとした広い通りになっていた。こうやって色々変わっていくんだろうな、とか思ったりした。
実家からの最寄り駅に着いて、母親から迎えに来てくれると連絡があったのでそれに甘えることにした。母親の車が俺の知ってる車じゃなくなっていて、最初どこにいるのか分からなかった。久しぶりに会った母親から開口一番、
「あんた目のとこ何したの」
と聞かれる。
「何かわかんないけど、痒いし痛い」
ここの所、急にまぶたが腫れだして左目が開けづらかった。
最初は少し腫れてる程度だったので気にせずに2週間くらい放っておいたら、まぶたの上がやけに腫れだして、終いには発疹なんかもできてた。
後から病院に行って診てもらったら、『眼部帯状疱疹』だった。今でもうっすら跡が残っている。
俺は車窓の外、昔遊んでいた畑を潰して最近出来たらしいセブンイレブンに視線を移した。
もうすぐ家に着きそうだった。
――――――――
家に着くと、白と黒の2匹の猫が玄関で出迎えてくれた。黒色の方は俺が家を出てからもらってきたらしい。白い方は、俺が高校生の時に学校から帰ってきたらいつの間にかいた。その日から俺は目の充血、かゆみ、肌の発赤を発症して猫アレルギーなんだな、って分かった。猫から逃げるように俺の部屋に入ると、Youtuberのはじめしゃちょーが居た。大学生になった妹の部屋だった。
「あ、お兄ちゃん帰ってたんだ、おかえり」
え?
「あ?あー、ただいま....」
変な感じだった。家を出るときまでずっと『お前』呼ばわりされていたので何か....変な感じ。
確かに昔は俺の事を『お兄ちゃん』って呼んでたな、そういえば。
「お前の部屋になってたんだ」
「あ、うん。そうだよ」
「......」
これ以上特に話す事もないので、俺がこの部屋に住んでいた頃から変わっていない、ドア部分が枠に当たって閉まりの悪い扉を開けて部屋を出ようとする。部屋から出る前に"元"俺の部屋を見渡してみると、1年中向かい合ってたパソコンのあった場所には妹が小学生の頃から使ってる勉強机と、この部屋には少し大きい気もする42型のテレビ。金髪キツネ耳幼女のオタクタペストリーを飾っていた場所には色々なYoutuberのポスターやら何やらが沢山貼ってあった。
「あ!ちょっと!」
閉めた扉の向こうから声がかかる。
「そういえば今日外にゴハン食べにいくから何がいいか決めといてだってー!」
「おー」
いい加減な返事をすると、俺は部屋を後にした。
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「は~~~~~~」
家族で外食をした後、俺は久しぶりの湯船に肩まで浸かった。
体のあちこちが痒くなる。自分が猫肌なのに加えてウチの風呂は昔から44度なので、そのせいだろう。
これからはシャワーだけじゃなくて、お風呂にお湯も張ろうかな、なんて思った。絶対やらないけど。
しばらく風呂に浸かった後、年末の特番を観てダラダラと過ごしている内に日付が変わっていた。そろそろ寝ようかな、なんて思っていると、廊下から顔を出してきた母親が、
「アンタ今日コレで寝なさい、寒かったら毛布もう1枚使っていいから」
と、昔従妹が泊まりに来たときなどに使っていた布団を持ってきてくれた。
「ありがと、おやすみ」
布団に入ると、子供の頃兄弟でかくれんぼをした時によく潜り込んでいた押入れの、懐かしい臭いがした。
明日は大晦日だった。
労働
俺が高校を卒業するくらいの時に、初めてアルバイトを始めた。
駅前にあるチェーン店の居酒屋で、時給は1000円とかで22時以降は1200とかそんな感じだった気がする。バイトを始めた理由としては、当時パソコンでプレイするゲーム所謂『ネトゲ』にハマっていて、ハイスペックな自分のPCが欲しかったから。(それまでは親父が会社から持ってきたメモリが2GBしかないパソコンで遊んでいた)
ちなみに、居酒屋のバイトに応募する前にマクドナルドにも応募してたんだけど、面接で落ちた。
――――――――
「じゃあ履歴書見せてね」
「ヨロシクオネガイシマス....」
「何でバイトしようと思ったの?何か欲しい物でもあった?」
俺は、何で履歴書に書いてあるような事一々聞いてくるんだろう....って思ってた。
「僕、旅行とか好きで友達と良く色んな所に行くんですよ」
「へー、そうなんだ」
これは明らかな嘘だから、多少は後ろめたかった。
「じゃあいつから入れる?鈴木君の紹介でしょ?」
「あ、はい。いつからでも大丈夫ですよ」
「なら来週から来てよ、よろしく~」
「はい、有難うございました....」
こうして初めてのアルバイトが始まったんだけど、正直働きたくはなかった。
「宜しくお願いします。○○です」
「おー、よろしく~~~」
キッチンに入ることになった俺は、新人でも大体出来るってことで『揚げ場』をやらせてもらう事になった。冷凍保存されてる食品を、ただフライヤーに入れるだけの仕事だった。
1カ月くらいバイトを続けてると、キッチンの人達とも多少仲良くなれてきて、先輩の佐々木さんは結構やりたい放題してるなって事が分かった。オーダーの入ってない串物を勝手に焼いて摘みながら働いてたし、酷い時は客に出すフライドポテトをホールの人に渡す前に摘み食いしたりしてた。
「俺も適当にやるか~~」
なんて思いながら、その日は金曜日で早朝5時のラストまで働く日だった。
午後23時を回ったくらいの頃、オーダーでお茶漬けが入ったので、さっさと作って休憩に入ろうとしてた。
「出汁ってこれか?出汁いれて鮭をのせて....」
横でマニュアルを広げながら、出来た料理を提供し終えたので休憩に入ろうとした時、
「おい○○、このお茶漬け食ってみろ」
「え?」
「いいから食ってみろって」
「はぁ....っ!?しょっぺえ!!」
俺はこの時、別の料理に使う出汁か何かを使ってたみたいで
「お前こっち使ったろ?適当な事やんなよな、お客さんは優しくて『いーよいーよ』なんて言って許してくれたけどさ」
「すいません....」
「これ、失敗した料理もさぁ、俺の給料から引かれるんだよね、マジで頼むわホント」
「....スイマセン」
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「あ、お疲れ様です。今日はスミマセンでした」
「あー、いいよ別に。お疲れ様」
「すいませんでした....あ、店長来週のシフトなんですけど、ちょっと親戚の集まりで一週間休みもらってもいいですか?」
この時俺は、夏コミというオタクのイベントに行きたくて親戚の集まりなんて嘘をついてしまった。
「集まり?まあいいけどさ」
「ありがとうございます。お疲れ様でした」
夏の朝5時はとても涼しくて、いつもは人で埋まっている駅前のアーケード街も、この世界に存在している人間は俺だけじゃないのか...?とか思っちゃう程に人がいなくて、来週のコミケも相まって気持ちが高揚していた。
実際初めてのコミケはメチャクチャ楽しかったし、コミケの他にも色々行きたいとこに行けてとても充実した夏休みだった。
仙台に帰ってきて、バイトのLINEグループを覗いてシフト表を確認したら、俺の名前が書いてあった列は白紙になってた。
そこで俺の初めてのアルバイトは終わった。パソコンは買えた、13万。
なんで?
飲み会
「今日は18時から歓迎会あります」という課長の声と共に、ブワッと全身に緊張感が走った。俺は椅子の背もたれに全体重を預け、深呼吸をした。
俺は人生で飲み会というものを2回しか経験したことがない。成人式の時、それとネットの気の合うゲーム仲間とした2回だけだ。あまり話した事もない、一回りも二回りも歳の違う大人と酒を飲むことなんて俺には経験がない。同じ新卒で入社した奴等もそんな経験はあまり無いとは思うが。俺は仕事を終え、現地に到着した。
歓迎会と言っても小規模なもので、参加者は10人そこらだったと思う。会社全体の大きな飲み会ではなく、俺が通っている部署の人間だけの粛々とした飲み会だった。
「え~、じゃあ○○君と小林君ね、ウチにようこそってことで、とりあえずカンパ~イ」
課長が乾杯の合図をする。
全員が手に持ったビールを掲げ、カーンと子気味良い音がした。
今年部署に入った新卒は俺と小林君の二人で、俺は飲めもしないビールを頼み、その場の雰囲気を乱さない事で精一杯だった。
「○○君も小林君も料理いっぱいあるからさ、食べなよ」
主任の松岡さんが声を掛けてくれた。
「ありがとうございます、頂きます。」と横で小林が女性社員と楽しそうに喋っている一方で飲み会でのルールなどまったく知らない俺は「マグロとサーモンぐらいしか食べれないけど、これマグロから手出しちゃっていいんかな・・・課長が先だよなあ」
何てことを考えていた気がする。
俺はとにかく気まずくならないようにするのに必死で、嘘ばかりついていた。
「ここらへん若い人が遊ぶような所何にもないけど、○○君休みの日とかなにしてるの?」
(ツイッターとネットゲームです!!!!)なんて言えるハズもないので、適当に
「曲とか良く聞いてますね、コンポ(今まで使った事もないのに何故か実家から持ってきた)とかもあるんですよ」と誤魔化す。
「へー、どんな曲聴くの?」
....来た....この質問
「あ、あ」
「?」
俺は当時(今もだが)女性がウィスパーボイスで囁くいわゆる催眠音声にハマっていて、通勤中や就寝時にずっと聞いていたので、適当に音楽鑑賞とか言ってしまったのだ。
「あ~~~~~~~~~」
「.....?」
「ス....『スキマスイッチ』....とかですかね....」
「おー、スキマスイッチ」
何故かは知らないが、その時頭の中にアニメ『鋼の錬金術師』でやっていたスキマスイッチのゴールデンタイムラバーという曲が流れていて、咄嗟に口に出してしまっていた。
「俺も結構聞くよスキマスイッチ、何が好き?俺はゴールデンタイムラバーとか結構聞いてた」
「あ....」
俺もそれしか知らない。というか邦楽なんて中学校の時に聞いてた『BUMP OF CHICKEN』しか知らない。
「....ははは」
苦しかった。
横では小林君が主任の松岡さんとアニメの話をしてそこそこ盛り上がっていたので、そちらの方が話せて楽そうだったので俺も混ざることにした。
「○○君もアニメとか結構見るの?」
「はい!アニメは~~見ますね。『コードギアス』とか好きですよ」
「お、いいね~。じゃ、『マクロス』とかは?」
「あ、聞いた事ありますよ」
「あとはね、『ぼくらの』とか知ってる?」
「....あ~、聞いた事ありますね」
「....それじゃ、『まどマギ』は?」
「....聞いたことは....」
苦しかった。
――――――――
そんなこんなで一時間くらい居座った後、課長から「そろそろ時間だな」と伝えられた。
「まだ時間あるな~~、そこのカラオケいくか?」
「あ、すいません子供の面倒見なきゃいけないので今日は失礼します」
「そっか~。あ、お前は来るよな?」
本当に行きたくなかった、このメンバーで俺が歌える歌があるのか、考えるだけで寒気がした。
「....あ~、すいませんが...」
「え?」
「あ、今日は失礼...」
「なんで?」
「いや、お酒弱くてもう眠くて」
「お前さ」
「そんなの『分かった、お疲れ様~』ってなると思ってるわけ?ウチ入ったばっかでさ、今日仲良くなろうと思ってセッティングしてさ。だったら最初から~~~~」
もうその後主任が何を言っていたかは覚えていない。
「す、すいません」
「ハァ....、じゃ明日ね」
俺はその時主任に対する文句も出てこず、ただ恐怖と、この先どうなるのかという不安で頭がいっぱいだった。
「あ、じゃあお疲れ様でした。ご馳走様でした」
返事はなかった。